シュークリームの雲

 

 

今日、バイト帰りに自転車を漕ぎながら

夏のそれらしい青空と高い雲を眺めていた。

視界のど真ん中に浮かんでいる雲の形がシュークリームだった。

だから、今日の昼からの用事を済ませた後はシュークリームを食べようと思った。

 

 

なんとなく、最近すごく自分が軽い。

きっと要因は色々あって、

部屋にある物を大量に捨てたり

本当に気に入ってる服以外全て売ったり

人との関わりをできる限り絶ったり

 

とにかく、自分に必要以上に負担を追わせない状況を作ることを最優先にして

自分がしたいと思ったこと以外を徹底的にやらない努力をしたからだと思う。

 

真面目な人は、結構余計なことを背負いこみがちだし、必要以上に優しいと思う。

だから、自分が多少しんどかったり犠牲になったとしても

周りの人が幸せだったりその場の空気が保たれればそれでいいと思ってしまう。

 

でも、そういう状況が増えれば増えるほど、少しずつ疲れてくる。

だから友達と話したり趣味に没頭したりして息を抜いて、なんやかんやで生きていくんだと思う。

というかそうでもしないとやっていけないと思う。

 

でも、そうやって息を抜いていても耐えられるのにも限度があると思っていて

その回数を突破してしまうと息抜きの機構が多分壊れてしまう。

息が抜けなくなってしまうのだ。

 

そういう時は、一旦全部リセットして、

引っ越したり仕事とか学校やめて、一旦止まらないとダメなんだと思う。

そもそも毎日頑張る必要なんてないし無理な時は無理だし

それは逃げでもなんでもないと思っている。

 

ここで諦めたらダメなきがするとか、諦めない方がいいとか、

なんとなく直感でそろそろわかる。

つらくても頑張れるのなら自分にとっていいつらさで、頑張った方がいいやつである。

でも、頑張れないのは本当に頑張れないのでさっさとやめた方が良くて

多分違うことした方がいいと思う。

 

社会の大半の人が送るであろうライフステージに素直に乗れないひとは本当に乗れない。

そして多分私は今までは乗れていたけどそろそろきついし振り落とされる。

そもそも今まで乗れてきたのがすごいと思う。

運よく受験が成功し親族も安心できる理想的な子だったけど

正直中学ぐらいから普通に生きててもなんとなく窮屈だった。

誰一人知り合いのいない高校に入学して、

また誰一人知り合いのいない大学に入学して、

誰一人知らない場所を探すようになった。

だから、今みたいな結果が自然だと思う。

真面目なので昔の自分をよく知る人は今の私を見るとたまに驚かれるが、

私は自分の意思と感情に対して素直で真面目なだけで、

それが他人の目に不真面目に写っても自分はいつだって大真面目なのだ。

何も変わっていない。

 

 

自分が一応持っている学歴とか経歴に価値を感じなくなってきたので、

早く手放して空っぽになって吸収力をあげたい。

今まで自分に自信がないくせに自我が強いせいで

社会的な評価基準と他者からの承認を気にしつつ

自分の意思を反映させて自己を肯定しようと努力してきたけど

今の自分にはそんな器用なことができないので前者を捨てようと思った。

捨てたものが必要になればまた拾えばいいので、その時はその時で考えれば良い。

 

そもそも今までずっと自分は自由だと思い込んでいたが

自由だと思う時点で自由という枠に縛られていてもうそれも嫌だな。

本読んだりぼーっと色々考えたら枠って更新されるので

その都度枠に名前をつけたりせずに「今日は気分がいいな」ぐらいでいいと思う。

 

 

そういえばおかしいぐらい暑い。こんなに暑いのに外に出て行きたくない所に行くのは普通に考えておかしいと思う。

 

お金について考える。

働かないとお金がもらえないのは辛いけど

そのシステムは簡単には変わらないのでどうにかするしかない。

でも割とどうにかなるのであんまり重く考える必要もないと思う。

やったことがないのでわからないけどフリーターっていいな、

休学してフリーターしたいな、本気で考えている。

 

 

 

あんまり人と遊びたくないので遊んでいない。

もともと遊ばなくても一人が楽しいので苦痛でもないしさみしくない。

SNSも本当に限られた人(インターネットの人)しか繋がっていないし、

自分が欲しい情報以外取り入れていない。

数年ぶりに恋人も恋もない夏だがむしろ楽しい。

今まで自分の決断や気分を他人に預け過ぎていたのだと思う。

会いたい人には自分から会いたいというけど

今はいないので一人でフラフラしている。

 

自分でいろんな答えが出ているので人の意見を必要としていない。

あまり議論する場所には行きたくない。

余計なざわつきや疑いを取り入れたくない。

 

 

夏休みはおいしい物を作って食べて

どこか旅行したいな〜

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Tinderで報われた話

 

 

こんばんは。

突然ですが、皆さんはマッチングアプリを利用したことはありますか?

 

ちなみに私はマッチングアプリを一年ぐらい前から利用しています。

交友関係は広げたいけれど、大学のコミュニティが狭く閉鎖的で

かといってサークルみたいな大人数の集団に飛び込むのも苦手だから、

と言う理由で暇つぶし感覚で使っています。あとイケメンに会いたいからです。

 

まあそれはさておき、先日マッチングアプリ(Tinder)で実際に会った男性との出来事と、その後の私の様子がおかしいので記しておこうと思います。

先に言っておきますが、別に恋人ができたとかそういう話ではないです。

以下のスペックの女が出会い系で男と会った話なんだな、というのををふんわり想像しながら見ていただければと思います。

 

●20歳女、京都

●身長・・・160cm

●体型・・・デブではないが痩せているかデブかと言われればデブ寄り(元カレ談)

●顔面・・・Twitterに自撮りをあげる病気なのでそれで察してください

●性格・・・先日友人に俗の塊と言われました

 

ある日の夜、私はとある男性とTinderでマッチしました。

最初プロフィールを見た時は、

『あ〜〜〜シンプルにカッコいいな〜小栗旬っぽいな〜普通にいい感じやな〜〜』

って感じでLIKEしたと思います。

 

そして私の今までTinderでの経験から推測するに、

この男性の顔の感じと写真の雰囲気であれば

実際に会って『なんか思ってたんとちゃうな・・・』状態になることはないと判断しました。

 

そもそも、顔を大きく隠していたりSNOWの男性は信用していないのでLIKEしないのですが、

ある程度顔が出た状態で厳選した場合でも、

私はTinderでは写真と実物の差についての感想は、以下の3パターンがあると思っています。

 

①「うん、まあ予想通りかな〜いや割と思ったよりカッコいいかもな、ラッキー^^」

②「あ〜そうか、そういう感じか、口隠してたんそういうことか〜うん^^目はそのままやな^^」

③「いや、顔はまあそやな・・・そのままやけど、なんかダサいな・・・」

 

私の場合、自分のスペックを完全に棚に上げてますが、会うなら絶対にイケメンがいいので

プロフィール写真を選別して傾向を掴み、怪しいのは画像検索をかけ、

現実とのギャップを事前に予想し、実際会った時のダメージを最小限にする技術を習得する必要がありました。

そして実際に会っていくつもの失敗と成功を繰り返した結果、現実と写真のギャップに殺されることはなくなり、今は快適なTinderライフのコツを掴めてきています(?)

 

 

そんな私はいつものように、マッチしたその男性のプロフィールをモコモコと分析していました。

その男性のプロフィールはこんな感じでした。

 

●23歳

●写真2枚(胸から顔の無駄に画質がいい斜め前方からの他撮り・横顔他撮り)

●東京在住のフリーランス

●映画が趣味

 

そしてマッチした当時、最後にこんな文章が添えてありました。

 

『明日京都を一日案内してくれる人探してます』

 

なるほど、明日か〜〜まあ午後から授業ないし演習の話し合いの合間なら空いとるな〜^^

と別に何も言われてないのに私は勝手に予定を組んでいました、気持ち悪いですね。

しかし、彼がプロフィールを変えるのを忘れていて”明日”が終わってる可能性もなくはないので、

「明日ってほんまに明日のことやろか・・・」など考えていると、

彼からメッセージが届き、こんばんは〜みたいな挨拶から始まり、適当な世間話をしていました。まあ普通にいい感じの人。

 

すると、彼が京都のオススメスポットを訪ねてきました。

『お、明日って、明日か〜^^』

と言う具合でニヤニヤしながら返信をしていたら

そのまま普通に明日の予定を聞かれ、普通に案内をすることになりました。

仕事で関西にきており、時間に余裕があるため京都で観光して帰るとのこと。

もう明日に迫っているのにホテルを次の日の朝に取ろうとしていました。無理やろ。

 

そして次の日の朝、ホテルが取れなかったのでその日のうちに東京に帰ることになった連絡を受けました。そして、私は学校で授業を受けて用事を済ませた後集合場所に向かいました。

 

京都駅に荷物を置いて歩いて向かってきている彼より先に集合場所につき、

雨の湿気でボワボワギチギチの髪に手櫛で戦っていると、

プロフィール写真の髪型っぽい人(前髪センター分けでいい感じの髪型)が遠くの方から歩いてきました。

 

しかし、だんだん私との距離が縮まっていくにつれ、私はひどく動揺してしまいます。

 

 

 

 

 

「「「いや待て、は????????えげつないぐらいかっこいいんだが〜〜〜〜〜〜〜〜・・・・・^^::::::::::」」」

 

向こうは私にすぐ気づきにこやかに会釈をしてきましたが、私はもはやそれどころじゃなくなってしまいました。完全に予想を突き抜けてきました。

 

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なんて言うか、説明するなら”小栗旬川口春奈を足して二で割った小栗旬”ですかね・・・服も最高にセンスいいし、身長も普通に高いし、何よりもうなんか、綺麗、、尊い、、多分芸能人ってこんな感じなんだろうな、てかなんでこんなレベル人が私の横にいるんだ?ん?俺は死ぬのか?時空のバグか?

 

と本気で思いながら、力無い声で「湿気すごいですね〜」とか言ってました。

いや、こんなことあるんですね。東京Tinder民ってこんなレベル高いんですか?

ちなみに周りの友達に彼の写真を見せたら全員湧きました。 

 

私は今まで雰囲気イケメンと言われる種族が好きで、元カレはほぼ前髪長くてモサモサしたガリガリの人なので、おでこを見せた彼らのことを考えないようにしていました。(すいません)

なので、マジな方のイケメン耐性がなかったのです。

 

 

それでも、表面には出さないようにつとめ平然を保つことに努めていました。

私は性格がひねくれているので、一周回って

「こいつには絶対に騙されないぞ」などと言う謎の警戒態勢に入ってさえいました。

絶対に顔面を褒めず、特に興味ないような感じでナチュラルに接してました。(本当はめっちゃ褒めたいし写真撮りまくりたいし崇めたい)

 

彼自身の性格や雰囲気もすごく居心地がよくて話も面白く、

かっこよすぎてずっとビビってたけど変に気を使わずにいられて、デートは死ぬほど楽しかったです。

 

イケメンすぎて怖いので途中から

 

「私は京都鴨川ノスタルジーデートドラマの女役としてたまたま居合わせていますので責任を持って任務を全うさせていただきます」

 

みたいな気持ちになってました。

祇園周辺をうろついて先斗町で飲んで、四条から京都駅までの鴨川沿いを相合傘で

歩いてことはもう一生忘れません・・・・・・・・・・・。

 

なぜか京都駅まで手を繋いで帰っ(てくださっ)て、一緒に写真撮って、改札でハグをして別れを惜しみ合ったりしてドラマを全うしました。幸せすぎました。

今も仲良く連絡とったり電話したりして、なんか色々やべーなって感じです。

 

私が最近ツイッターのつぶやきのキレが悪く数も少ないのは

このような圧倒的幸福の味を知ってしまったからです。

付き合ってないしその未来も現実的にありえないけど

この1日とその後も仲良くできている事実だけで私は頑張れると思いました。

イケメンはすごいです。感謝です。

 

 

 

さて、記事の収集をつけるため、今回のデートで感じたマッチングアプリの素晴らしいポイントをまとめておきたいと思います。

これを聞くとマッチングアプリしたくなるかもしれませんよ。

 

今回、私はえぐいイケメンとデートし、今も仲良くしています。

これは私の性格やテンポが彼といい感じに噛み合ったことも関係しているとは思いますが、

そもそも、彼のレベルのイケメンだと私は

初期の顔面選別でおそらくはたき落とされると思うのです。

彼は、私が普通にしてたらデートすることすら適わないレベルと言っても過言ではないです。

 

つまり、何が言いたいかと言うと、

『第一関門である顔面問題を飛び越えて、美男/美女と会って話をする機会を得ることができる、デートがうまくいけばそのまま仲良くなれる可能性もある』

ということです。

 

 マッチングアプリで自分のプロフィール画像に力を注ぎ

彼の指を右スワイプの方向へ動かせられさえすれば

完全に格の違う人ともデートすることが可能となるのです。

自分がどれだけ写真と違っていても、当日顔を合わせるその瞬間までそれはバレないし、

よっぽどのことじゃない限り逃げられたりはしないでしょう。

 

デートのあとの関係性のことについて多くを望みさえしなければ、

こんな素敵な方と1日デートできた、という充足感・多幸感で

日々が明るくなるのです、素晴らしい〜〜

Tinder、侮れないですね!!!!!!!!!!!!

こういうこともあるから、日頃から自分磨きを怠ってはいけませんね。

ダイエットに美容に頑張りましょう。

 

と言うわけでアホさ一億みたいな文章をだらだらとすいません。

こんなケース稀だと思いますけど、もしかしたらまたあるかもしれないし

何事もやってみるもんだな!

 

人生、ときめきはまだまだ潜んでいるはずだ!きっと・・・(完)

 

 

 

 

 

 

 

 

敬語について

先日、最近仲のいい先輩とご飯を食べていたときにこんなことを言われた。


「敬語使わなくていいよ。」


私は、家族や親戚、恋人、小さい頃から仲のいい人などを除けば、年上の人には必ず敬語で接している。おそらく多くの人はそうだろう。


すごく頼りにしていて距離の近い先輩や先生などには、多少タメ口混じりで会話することも確かにある。だが、基本的には敬語を使う。

そうしないと、自分の中でしっくりこないのだ。

 


でも、一体何にしっくりきてないのだろう。

 


この時目の前にいる先輩は、続けてこう言った。


「敬語を使われると、先輩扱いというか、先輩と後輩の壁みたいなのができる気がして、私に変な責任感が生まれてしまうから。」

 


そうだろうな、と思う。よくわかる。

仲良くなった年上の人に今まで何度かこんなことを言われたことがある。

だけど、それでも、やっぱり敬語が抜けないのだ。

 


正直、世の中に溢れている敬語は慣習的に使われているものだと思うし、

私に染み付いている"敬語を使う"という行為も教育によって植えつけられたものなのだと思う。

時々敬語を全く使わない後輩が現れたときに少しだけギョッとしてしまうのは、

自分に敬意を払わなかった怒りなどではなく、このあたりのバックグラウンドの差異に動揺しているに過ぎない。

 


そうだ、教育された暗黙の了解なのだ、と納得してしまえばこの記事を書く理由はないのだが、

なんとなく"そうじゃない敬語を使う理由"というものが最近芽生えているのを実感しているので、これについて意見がほしくて書き留めることにした。

 

 

 

そもそも、年上である、年下である、というのを決める指標は生まれた順番以外存在しない。

そのような括りは、社会で人が生きる上で便宜上それらをまとめるために一定の期間に生まれた人間をまとめているに過ぎない。

 

例えば、日本では4月1日に新しい"年度"が始まり3月31日にそれが終わる。昔に日本人が決めたこの一年という区切りの間に生まれた人が"同い年"である。

 


違う視点で見れば、実力の差などもそうだ。昔に比べると自由な思考が許されるようになった現代では、自分より無能な年上も、はるかに有能な年下もゴロゴロといる。

 


そう考えると、年齢というものは本質的にはなんの意味も持たないただの数字である気がしてくる。

しかしそれは違う。

 


私がこの記事で一番言いたいのはここからで、

一見意味のない数字に内包されているものに敬語を使う理由があるのではないかと考える。

 


それはなにかというと、

「年上の人々は、私がどうやっても埋められない、あるいはまだ訪れてさえもいない時間を既に生きている」ということだ。

 


そんな大げさな、と笑う人もいるだろう。

 


しかし、よく考えてほしい。

もし、どんな薬を飲んでも、どれだけ必死で働いても、時空にまつわる物理学を学んでも、

年上の人と生きてきた時間を同値にすることは不可能なのだ。

これは、実はすごいことではないのか。

 


しかしこのままでは、じゃあ自分より一ヶ月早く生まれた人にも敬意を払うべきなのではないのか?という反論を食らいそうである。

ここについても考えた、それについての意見はこうだ。

「一般的に、一年以上の時間を置かないと生きてきた時間の差異を感じることが難しい。」

 


本当に、これについてはボコボコにされそうだ。突然一般論を喋り始めているし、結局それも社会の枠組みあってこその思考だからだ。

年齢制限などが存在する限り、それによって人の性格や経験もある程度均一するのは自然なことである。

 


それでもやはり、よく言われる"大人の余裕"というのは、

私が先ほど述べた"絶対に埋めることのできない時間を生きてきた"という揺るぎない事実があるからこそ醸し出されるものではないのか。

それは、自分が知らない社会経験や人間関係のノウハウなどだけではなく、もっと根本的な、生物的な本能にも関わってきているという気さえする。

少し前に父親も言っていたが、「どんなに仕事ができなくても、年上の人はもはや居てくれるだけでいい」という言葉が少し理解できる気がする。

 


そういう壮大なものを抱えて、せめてもの敬意を示すことで敬語を使っているのではないかと、私はこの先輩に熱く語ってしまった。

敬語なんかで表せない、もっと大きなもの。

 


もちろん、日常生活でいちいちこんなことを考えているわけではない。たらたらと語ってしまったが、正直自分でも敬語を使う理由の大半は慣習的な意識が占めていると思う。

 

しかし、暗黙の了解に流されるのに抗って、なにか自分なりの理由をつけたくなるのは私の趣味だから、これが間違っているのかどうかはさておき、なんとなく楽しいので、これを見た人がどう考えるのか知りたい。

無題

午前4時半

タイムラインの人間がまだほとんど寝ていることがわかる程度には、私しかいない。

さっきいいねをくれた人ももういなくなった。

 


またしても始まる新しい一日を平和に過ごたいと願い、そのために健康な調子を用意する。

ゆえに眠りにつく人々、を見ている。

私は?

早く寝ないといけない、という焦りなんてなくても誰も困らない春休みであったので、

今日もこうして起きている。

 


人の活動が見えなくなることは今の私に安心と休息を与えてくれる。

利害をもたらす・もたらさないとか、

可愛い・可愛くないとか、

そういう問題とは別で、眼中に入ると脳のある一定の割合を占めてしまう人間というのがたまに現れる。

来世も人間なら、これを恋とでも呼べる明るい人格でありたい。

 


ただ、考えることは大変なエネルギーを使う行為だ。

0か100の不器用な性格であるため自身の生活を犠牲にしてしまうことも多くあり、

何か決定的なきっかけがあったり、限界になってから他人の力を借りてなんとか乗り越えてきた。

自分の力で断ち切るべきものを選び、情報を選択し、情をコントロールしたい。

友達には感謝しかない。

 


ミュートすることを「寝付かせる」と呼ぶことで、かろうじて自分の行為を肯定してあげるような情けない人間である。

理不尽を100%相手のせいにする勇気がなければ簡単に殺される。

名に刻まれている限り捨てられないが、せめて小出しにしたい、優しさ。

無題

やけに長く感じた冬がようやく終わってきつつあるような、

それでも不安定な気温と気圧に翻弄されて鬱々、春の日ですね。

春が好きな人は多いですけれど、私は今までかつて春を楽しめた記憶がない。

というのも昔から重度の花粉症に苦しめられる体質ゆえ、スギやヒノキのせいだとはわかってはいても

世界の全ての花々すらも憎らしく見え、当然桜もその対象で、お花見にも行けないし第一外に出たくないのであった。

 

それはそうとずっとそんなことも言ってられず、まるで1年をすっかり清算したような顔をしてはまた新しい1年を連れてくる学校、

私は春から大学3回生になる。

そこまで劇的な変化があるというわけではないけれど、必要以上には学校に行くことがなかった私にとっては

重い課題がのしかかることが約束されており、そこに付随する人間関係や自己の能力のことに思いを巡らせるだけでも拍動が不安定になる。

 

歳をとるごとに生きづらさが増している。もともと人前で喋ったり大人数でいることが得意ではなかったが、

人間関係もそれほど問題なく過ごしていたし、大学に入ってすぐまでは社会に溶け込めていると思っていた。

ただ、自分が思っている以上に頭の中で多くの考える必要のないものまで大量に考えている、

そしてその杞憂一つ一つに向き合っている為に、いつもなぜだか疲れている。

そして、周りの人間ができていて私にできないこと、そしてそれは私しか気づかないということ。

最近わかったことだが、これには名前がつく。かもしれない。

 

自分のこと、恋愛のこと、人間関係、お金のこと。

まだ可愛らしい方よ、これからもっと大変に・・・などと、脅しに近い形で揶揄されるような20歳の諸々の問題は、

時間が経たない限りいつだって、生活の全てで、全てなのだ。

それでも時間は平等に、同じスピードでしか進んでくれない。今が完全に過去になるまで、はっきりと思い出として括れるようになるまで、あとどのくらいかかるんだろう。そんな日はくるんだろうか。

 

ピアスの穴をまた1つ増やして強くなったように錯覚する。

外見が内面の一番外側なんだったら、外堀から強くしていけば中身も強くなれるってことでしょ?

 

必要以上に眠ると、それを責めるように悪夢に叩き起こされる。

 

文字を目で追うことだけをしていれば煩雑な意識から逃れられる本。目を閉じても流れてくれる音楽。

救い。

 

調子はどうですか、きちんとご飯食べてますか。

脳みそと頭蓋骨の隙間にずっといる人影。

 

 

 

2017

2017年も年の瀬、色々と思いかえそうと思ってブログを久しぶりに立ち上げました

個人の綴りなので、誰に向けて意識しているわけでもないです

サラハで「もっとわかりやすい文章をかけ」「抽象的すぎる」「ブス」とかいう悪口を送って来ないでください、フリじゃないです

前の記事は大昔のことなので少し恥ずかしいので、あまり見漁らないでね・・

 

 

2016年は確か、受験に始まり大学生活最初の年で右も左もわからず・・・っていう感じだったのですが

今年はそんな平和でときめかしい年ではなかったとまず断言できます

 

私はただひたすらに、今まで社会を知らなくて

当時の彼氏も高校や大学の友達も、

私と同じ価値観の人間を自然と配置してきたようでした

 

どこからそこに物足りなさを感じてきたのかは曖昧ではあるけれど、

もともと好奇心は旺盛な方、というか、

興味を持ったら手に入れなければ体験しなければ気が済まない人間なので

 

そんな具合で1月あたりは

当時通っていた外部のセミナーのようなもので感化されたのも重なり

悪い大人にあっさりと引っかかるのでありましたな〜

 

今までふんわり何も知らずに生きていたのがダメだったんでしょうけど。

まあそれからすぐに、2年半弱付き合った恋人と別れまして

主に大人に、今まで知らなかった世界に連れていってもらったりしました

後先も考えず、吟味もできず、悪と善の判断もできず

満たされていく好奇心とは反比例して

今まで保ち続けていたはずの自分の芯が完全にブレていきました

 

 

人間として、女として、学生として、成人として、

どうあるべきなのかわからなくなって

私はその答えを知りたくて、世間の目も憚らずにとにかくいろんなことをしていました

そこにある種の欲が介在していたことも否定はしませんが

今思い返せば自分のキャパシティを超えることを

自分はこういう人間なのかもしれないと思い込むことで

大人になっている気分になっていたのかもしれません

そういう割り切った性格でもないのに

 

でもそういう中で考えたことなんですけど

いろんな人と出会って話をすると、もう、何も言えなくないですか?

世の中には事情のある人が多過ぎて、それぞれが物差しを持っているから

極端な例でいうと、人を殺してしまった人も一概に責めることはできなくないですか?

だから、人のことを、しかも本人が嫌がる形で攻撃する人がわからないです

理解することを放棄するぐらいなら攻撃に逃げず黙って去ってほしいものです

なんの話かしらん

 

 

5月に、とある男性とたまたま会いました

私はいつもの、中身のないくだらないやり取りに嫌悪感を抱いており

これに終止符を打つことだけを考えていました

で、たまたまあった男性に告白してその日に付き合いました

もう、デートを重ねたりとかも一切なく

一旦、「彼氏」という存在を立てることで

私はこの生活をやめることができると思っていました

 

そういう私も、付き合ってくれた彼氏も頭がバグってると思うのですが

なんやかんやでその彼氏とは最近まで付き合っていました

私は、地元にも大学にもいないタイプの人間で

最初から最後までずっと、分かり合えないと思っていました

 

私は心が弱く、確固たる自我を持ち合わせていないので

2017年上半期の、心と行為が伴っていないあの期間をよく責められていました

まあ、理解されるはずもないです

 

目の前のことを一緒に楽しんで

知らないことを教えてくれる、話してくれるところが好きでした、今も好きです

5月から12月の付き合っていた期間、

彼氏に必要以上に警戒心を持っていたので、

傷つけたことも少なからずあったと思います

私も彼も悪いし、私も彼も悪くないのです

ずっとそう思っています

 

私が色々と耐えられなくなって、別れを切り出しましたけど。

結局、彼氏でなくなることでお互いの生活を必要以上に干渉してはいけない、と言う意識を自分に植え付けるための別れに過ぎなかったと思います

嫌いになったのではないのです

周りの心配してくれた人には申し訳ないです

私は嘘でも、私を必要としてくれる人を突き放すことができません

時間が経って彼の中で私が死ぬまで、私は彼を殺せません

 

未練がましいものがタラタラな女の戯言が続きましたが・・・

 

得た新しい友達もいたり、今までなんとなく手をつけなかったものに手をつけたり

色々と変わることが多かったです

化粧も変わったし、金遣いも変わったし、行く場所も変わりました

お母さんには、もう娘じゃない別の人間を見ているようだと言われました

 

友達と恋人と家族のカテゴリーに分類できないような人間にも出会いました

出会いましたっていうか、出会っていたんだけど、やっとちゃんと話せて確信できたという感じです

最近手紙をくれた人物で、私との出会いから始まる思い出を彼の言葉で綴ってくれました

多分、これからずっとその人と一緒にいるんだろうなと言う感じがします

将来、一緒に東京か香港に逃げると思います

各々安心して自由に生きるための場所としてあり続けたいです

 

 

1500文字を超える文章をまとめるなら

バグってバグってバグりまくった一年でした!

出会ってくれた人たちありがとうございました

2018年も、私の好いてくれる人は仲良くしてください^^

愛してます

お疲れ様でした。がんばろ〜

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

殻に閉じこもる感覚

 

最近、おもうように好きなことに向き合えません

あの日のあの言葉で、好きなことを好きなだけじゃダメであるかのような気がしています

それが好きで、それに影響をうけて、自分を形成していく

わたしはそれができていない、面白くない人間であるような気がする

 

 

それがつらくてつらくて

だから今日何か搾り出そうとして

画用紙を広げて絵の具をのせたのだけど

何も書けなくて捨ててしまいました

シャーペンに持ち替えてもなにもかけないのでした

 

だからおとなしく、たのしくトレースしようとおもいました だけど

わたしは昔に本当に好きだった絵師さんがいて

ツイッターもタンブラーも残ってなくてもう絵は見れないのだけど

その人のような絵を描きたい、けど

どうしようもない、またチョコを口に入れて倒れこむ

 

 

川上未映子、禁断の多数決、lamp、フェアリー、古着、チョコ、牛乳、柑橘、アクセサリー、きらきら、もこもこ、三重野さん、千原さん、佐々木さん、ikumi、bopper、アーバンギャルド中村ちひろちゃん、乙女、お母さん、れいくん、雲、肉、相対性理論、ラブリーサマーちゃん、パソコン、VOU、京都、にっこり、幾何学柄、ツイッター、甘いもの、透明感、アリムラさん、HUS、ZINE、虹色、かわいいもの

 

 

そもそも、自分の内側にあるものを何かの素材を選んで表現して人に訴えかけることができる人間なのかな?

でも、それができないならきっとアーティストにはなれないけれど、アーティストになりたいわけじゃないからいいんだよね

 

 

すごくセンスがよくていっぱい考えられてて

人を惹きつけるフライヤーとか装丁とかを見たら

こんなのできっこないぜーとかおもうけど

まあまだ、経験もないしできないか、、とかおもうけど

それは言い訳なような気もする、だって

同級生とか3つぐらいしか変わんない人とか

すごい人いるもんね、

やっぱりまだまだ勉強だね

気に病む間も無く勉強しないとね

だってデザインが好きだから、もうここでデザイン以外の道を考えられないから

がんばろ

 

 

ところで、川上未映子さんご存知ですか

わたし本当に川上未映子がすきで

言うてまだ4冊しか読んでなくて、

今ヘヴンよんでます

 

高校の時、ツイッター川上未映子の文章に出会って、

発光地帯のスノードーム前々夜だったかな

そこでずっと心にとまってたんですけど

大学に入って愛の夢とかを読んで

死ぬほどハマりました。

リボンにお願いと、わたくし率イン歯ー、または世界を読んだんですけど

愛の夢とかの、特に「いちご畑が永遠に続いていくのだから」は7回ぐらい読みました。

日常生活を鮮やかに、鮮やかじゃない色で書くと言うか

文字だから白と黒しかないんだけど。

情景が浮かぶけど、その情景は明るくて元気な様子じゃなくて

すこし褪せたような色味ってかんじで、静かで穏やか。

その感覚がたまらなくすきで、丁寧で

言葉遣いとテンポも本当に好き!

わたしはあまり言葉をまとめて伝えることができないんですけど

その脳内をすこし美化して、そのまま文章にしてくれているかんじがする。

好き〜だいすき、

 

まあそれはさておき

わたしははやとちりだから

ゆっくりしっかりと19歳を生きよう

言い聞かせる。