東京にいる。
年に3回ぐらいは東京に遊びに行ってて、
いつもそんなに何をしに行くのかと尋ねられるが別に何もしていない。
私と定期的に喋りたいらしい人がいるのでその人に会いに行って、
その人の予定に合わせてイベントとか調べたりして、
あとはまあせっかく来たしな〜ということでブラブラしている。
毎回いろんなところに行くものの友達がいないので寂しくなって、疲れて帰るのがおきまりのパターンである。
今回は前回までと違って、自意識過剰が改善したおかげで大体のお店には一人で入れるようになったし
グーグルマップに張り付かなくても歩ける余裕が出ていたので
いつもよりは自由にのびのび過ごせていると思う。
そういう状態で東京を歩いて思ったことは、
まあ薄々感じてはいたけど、別に何もないなということである。
徳島で生まれて18年間過ごした田舎暮らしの私にとっては東京は憧れの街だった。
中学の同級生たちと馴染めず、居心地が悪くて辛かった時期に
私がハマったのは原宿のファッションだった。
zipperやFRUiTといった雑誌を貪るように読み
ヤフオクでNADIAやキャンスパの服を毎日のように見漁り、
時にはリサイクルショップで奇跡的に入手したangelic prettyのロリィタ服を着てお母さんの隣を歩いた。
原宿のそういうブームが去ると同時に私もだんだんとそのようなファッションへの興味は薄れていたけど、
人生で影響を受けたものとして一番に言えることはその当時の原宿ファッションだと思うし、
形は変われど今もまだ、
その頃に感じたときめきやファッションへのこだわりは間違いなく生き続けている。
だからこそ、東京への憧れや漠然とした幻想みたいなのがいつまでも拭えないのは仕方ないのだと思う。
周りの人や東京に住む人からはずっと、「東京なんて別になにもないよ」といっていたけど、
わかっちゃいるけどそう思いたくなかった。
大学生になって京都に来てからも、早く東京に行きたいとずっと思っていた。
大学を京都にしたのは高校生の私なりのいろんな理由があって、
その選択は今ではむしろよかったと思ってはいるが、後悔した時期も多々あった。
田舎独特の閉塞感、変わり映えしない街と人、
新しいものが好きな私にとってはそれがとにかく怖かったのだと思う。
京都は京都で独自の文化があって、面白い取り組みや人もいて、かつ住みやすくて今では大好きでたまらない場所となった。
それでもやっぱり、東京に行く選択肢が消えたことは一度もなかった。
でも、今回東京をひとりでいくらか回って、
会っていろんな話して、なんとなく
「ああ、もう私は東京じゃなくてもよくなってしまったんだな」と思った。
東京という街に価値を求める時代は私の中で終わったのだ。
別に悲しくはない。
むしろ、東京に浮足立ちながら就職して失望してしまうよりよっぽど幸福な気づきだったと思う。
結局、どこにいても人は人、自分は自分。
環境が人に影響を与えるのは事実だが、変化を求めて環境を変えるだけではなにも生まれない。
場所を変えるというよりは、「コミュニティを選ぶ」という感覚が一番大事だ。
新しいものが入り込みやすい場所、自分にとって重要な人と出会う確率が高くなる場所、仕事がある場所、
これからの私にとっては、東京とはそういう場所なのだ。
就職してからそれがあまり達成されてないと感じたら、多分私はすぐに場所を移すだろう。京都に戻りさえするかもしれない。
それでいいのだ。
これから先、住みたい場所を探すという理由で旅行をする機会が増えそうだな。はやく海外にも行ってみたいなー
でもやっぱ、ちょっとさみしいな