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わたしは悲しいことがあってもあまり泣かないタイプで(人に声を出して怒るときは泣きそうになるけど)、ここ一年で立て続けに3人の葬式に参列した時も泣きはしなかったのだけど、確実に心に重くて暗いしこりのようなものが残っていて、

人生を頑張る理由とか今生きていることとか全ての実感がぼやけていて、ずっとどこにもいないような気がしてしまっていてとても怖い

死にたいわけではないけどなんとなく消えたいなと思ってしまう  悲しみは涙に昇華されず、希死念慮とか消えない虚しさみたいな形で日常をしくしく食べていくので、実はほんとはかなり参っている

 

 

毎日ご飯を食べたり誰かと話したり美しいものを見ることで、なにかから"逃げている"、だから疲れる、エネルギーを使う、眠ることは死ぬことはほぼ同じだから出来るだけ眠っていたいのだ

 

 

どこにいてもどこにもいない 頭の中で社会の顔をした声がわたしの思想を変えようとしてくるのが怖い どうにかなりますか?これ大丈夫ですか?みんなこれに耐えてるんですか?なんで?

 

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誰かに守られたいわけではないし

できることなら守りたいけれど、

そういうのは実のところできっこないわけで

素振りを見せても離れていくような人が多いけれど

むしろ、人を信じられない人の方が世の中には多いらしい

みんな信じることは難しいと感じているらしい

 

わたしは人を疑うことができず、よく騙されるのですが

もうそこも学習したり自分でも予測はするんだけど

その事前の保身そのものがストレスであり、わたしのことを嫌うなら嫌う、好きなら好き、眼中にないならそれでいいから、嘘をつかないで欲しい

 

でも、わたしがそう思い込んでるだけで、ただ自分にとって都合が悪い反応を相手がしたときにそう思い込んで人のせいにしているだけなのかも?もしそうなら、もう救いがないよこの身

 

うーん、守って欲しいというか、ちゃんと

生の実感を伴って生きたいよ わたし人のために何かしたいけど人と実は分かり合えるって

救えると思ってたけど、それが全て自分の頭の中だけで行われてるだけかもしれないって

そう思ったら世界はわたしの頭の中で、人生がこの脳みそ1つではじまりおわり、今まであなたたちと触れて話して感じたこと考えたこともぜんぶ

ほんとのことなのか自信がなくなる、

もしあんなことを話した、それが私しか覚えてなかったらあの日はもうなかったことと同じなんだと 私は思うんだよね

 

 

ばあちゃんとかじいちゃんとかひいばあちゃんとか

死んだらその分親へも私へも死がこっちに寄ってくるんだよね

 

 

一緒に逃げたいのだ未来の孤独を

人は孤立すると死ぬって先生が言ってました

 

 

一緒に頑張りたい 一緒にいたい

一人を一緒にがんばりたい