2023

贔屓にしている占いサイトで、

2023年の私の星座ではこんなことが書かれていた。

「2023年の蠍座の世界には、絶対的なものがたくさんあります。」「その「絶対」を空気や重力のように享受し、自分の自由の支えにできます。」

 


「絶対」というのは、つまるところ欲望のことなのだと思う。

あれを食べたい、ここへ行きたい、あの人に会いたい。

お腹が空くことに理由がないように、目的を掘り下げようのない欲望こそが

「絶対」を確信するためのヒントなのだとおもう。

 


2023年はそんなことを夏頃にぼんやり考えて、

物事を選択する基準がクリアになった。

そこからはいろんなことが変わって、

これまでとは随分とスピード感の異なる生活を送ることになった。

仕事も変わってプライベートの人間関係も変わって、

新しいことばかりなのに、むしろ今までのほうが不自然だったかのような気さえする。

ずっと底にあるはずの欲望は、日々の忙しさに流されてなかったものにしてしまうから。

tofubeatsも言うてます、『何が食べたいとか そのくらいも決められないなら 欲してるもの 手に入れられてるかって(WHAT YOU GOT)』 と…

 


そんな感じで(?)、たくさんの人と機会に恵まれた一年だったので、

来年は行けるとこまでたくさん走ろうとおもいます🪩良いお年を

 

幸せの中央を目掛けて

 

前回のブログの更新が意外にも半年くらい前か〜

だいぶ遠いところまで来たような(毎回言ってる気がするけど…)

思考を文章にするの下手になったな。

 

 

最近。退職、恋人、秋。

人間関係も思考も仕事を起点に展開されているのに

いつまでも身体にフィットしないことが体調にバッチリ反映し、

自分の身体に行為が帰る感覚を得るのは、

好きなものを見たり聴いたり読書するくらいしかない日々に

急に恋人が現れたことによりあっさりと新章突入。。

 

他人を信じる力はすごい。

ここ数年…大きく見れば5年くらいは内省の季節をやっていたんだと思うんですけど

他人と一定の新しい特別な関係を気づくこと、

つまり相手をめちゃくちゃ信じるということは

自分にとってすごく大事というか、

やっぱりずっとこういうふうに在りたかったのだなみたいなことを思う。

お互いが自分自身を最善の状態に保つための努力ができれば、

こんなに自分を大きく柔らかく広げることができるんだな。

 

相手を信じたいから信じる、

相手がどうかは知らんけども、私の全部を賭けて良いので

ここから先が楽しみだなあって思います

 

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仕事。退職(転職)!もう少しで有休消化に入る。

「自分の思ってることだけしてたい(by John Gastro)」

というシンプルな欲に目覚めてから日々の業務がいよいよつらくなり、

自分がしたいことについて脳を巡らせて行き着いた場所に

運よく募集が飛び込み、内定がおりるという人生の不思議なタイミング。

苦しくてどうにかなりたい時ほどどうにもならないが

意外といろいろ乗り越えた時にどうにかなるのが世の常っぽい、誰かも言ってた。

次の会社が自分に合うかはわからないけど、

今の私が100%の気持ちで選んだ場所で、新しい経験ができるだけでうれしい。

楽しさも辛さも自分で選んだら文句なしですから…

新しい有意義な悩みを悩みたいね。

 

 

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そんなこんなでつまり、最近非常にいい感じ、

人生がガバッと動く時は動くんだなって感じです。

動ける時にできるだけ遠くに行きたい。

 

しっかり自分に馴染んでしまった過去の恨み辛みでぬくぬくしている場合ではなく、

人生の完全なる衣替えシーズン…ここを日和ってたら進歩はもうないな!

幸せの中央をどストレートで目掛けていきたい^_^

 

 

 

世界のわかりかた

 

 

旅行から帰ると、部屋に物が多すぎるような気がして

荷解きが終わるなり断捨離が始まる。

どんなに楽しい予定の後にも、

イヤホンを耳に突っ込んで、いつもと同じような音楽を聴いて

テンションを一定値まで戻す。

私の日常には、そういう一定の絶対的な量の感覚がある。

 

飛躍するには、違う場所へ行くには、新しくなるには。

そういう絶対的な戻る場所と状態があって、

それは絶対的であるからこそ、縛られるものではなく、

自由であるためのものだと、、

土星4ハウス振り返り、みたいな話)

 

 

しばらくブログを書けなかったのは、

思考を、伝わる用にあんまり変換せずに言葉にして、

書き示しておくことが重要じゃなくなったから。

というのも、過去の記事を見ていると

私は仕事で本当にどうしようもない感じになっており、

何を希望にしているのかもわからずに、留まり続けていたのだが

最近は風向きが変わって、なんか急にちょっとわかってきたのだった。

 

それは、一回ちゃんと、もさっとしたこと言わず

現実を一生懸命やるぞという決意をして、

それをある程度身体に叩き込むことができたからなのかもしれない。

もちろん、運がいいとしか言いようのないことや、

機会を適切にあたてもらった環境ありきなのだが、、

 

「そこにいるならお前がやるんだよ」という

そういうマインドセットにならざるを得なくなり(遅い)、

もうやるしかなくてやって、

前向きに素直に捉えると、役職というちゃんとした形として

一旦認めてくれた感じになったのだった。

 

 

そこで、まあ多分自我が2種類、、、

もさっとしたことばかり言う世界に誰もいない状態の私と

チャキチャキ仕事して現実のゲーム的な部分を大真面目にやる私を

どっちも現時点でやれるところまでやり尽くして、

前者をちょっとずつ取り戻していこうと言う心境、

で、またブログを書く

 

 

「期待せずとも諦めないことができるようになるよ」

っていう友達からの言葉が身にしみる日々、

その段階までもう少しだ、、

 

 

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人間関係。

信じることは、相手の言葉を信じること。

愛することは、相手の姿勢を肯定し、信じること。

「本当のこと」は、自分が信じられる事実にのみ存在する。

つまりすべての関係は、自分の中にだけ決定できるものなのだと

そう思うことでしか前に進めないような時期から数年が経ち

やっぱりそれではどうしたって孤独なので

そうじゃないかもな、という捉え直しをしたい、

 

自分以外の人と社交ではない関係になる時は

そういう考え方でしばらくじっとしていたのだけど、

そして、それは間違ってないとも思うのだけど、

自分にとって、もっと柔らかくて素直なやり方が

あるんじゃないかという希望みたいなものを持てるかもしれん、

 

人はみんなそれぞれちょっとずつ

何かを抱えて、何か別の大事なもののために隠したりして

バランスをとっているものですね。

一緒にいる瞬間を1番楽しくて幸せにするための協力は

そういう面も含んでいるとは思うんだけど

 

誰も見ていないところなら赤信号を渡るような

人間関係の作り方をするのは、

そういう世界を肯定していることになると思う、

その加担に無自覚で、自分を過信していて、

だからなんか嫌なんだと思う

 

本当のことはこの目で見ないとわからない、

何を思っているかは本人にしかわからない

それでも本音を知って濁流ごと飲み込まないと

やった感が出ないんだなあ〜はあ〜

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2022

 

会社員である日々の居心地の悪さにも流石に慣れて、

ちょっとがんばったりもして、

日常の過ぎ去る早さ(早いのに動かないかんじ)に戸惑い、

相変わらず頭の中はいつも何かに逸っているような。

そんな自分と日常をどうすることもせず見ているだけの日々、

2022を平均するとそんなかんじだった気がします

 

 

人間関係は、この年齢&無駄にトラブル対応に慣れた人生なので

精神的に参ることは無くなったとはいえ

大人でもこんな終わり方あるんかいっていう関係性もあったし、

とにかく入れ替わりの激しいかんじだったな。

 

それでも、ずっと気になっていた人、まだ出会ったことのない人にも

手を伸ばせば届いたり、繋がっていくんだと実感できるようなことも多かった。

褒められた形ではなくても、他人に振り回されず、

どっしりとした気持ちで過ごせるようになったかも。

 

 

2022は自分にたくさんお金をかけたし、

自分の喜びについてたくさん考えるきっかけがあった。

社会人になってから、本当に仕事についてばっかり考えていて

それは決して一生懸命に仕事していたというよりは、このままでいいんかなみたいなことばっかを考えていたのだけど、

そういうのをしばき倒してがんばって、また緩んで逃げて戻って、

次は違う場所に出て、みたいな捉え直しもよくやってたかな。

 

 

あとは、

これまでは表現すること、人の創作について考えていることが多かったけど、

その対極にある、資本主義のど真ん中みたいな場所に自分を置いてみたとき、

創作されたものは自分にとってのただの拠り所で、

それ自体が人生というわけでは全然ないなとも思えたのは大きかったな。

つまり、ミーハー悪くないなと思ったわけです。

結構ガチガチに固めてた自我がマイルドになって、自分の輪郭が曖昧になって、

人気の歌も流行りの服お店も、全部自分と関係のあるものだと思えるようになったな。

嬉しいことだ!

 

 

 

2023年は、お金をたくさん貯めてブランドものを買って、

運動もちょっとして、好きな人たちと最高に関係していたいなあ!

 

 

特筆すべきことがない

 

 

抽象的なことばかり言っていても面白くなくなった。

これまでは、言葉だけで新しい気づきが得られて、

次の日から自分が新しくなるような気持ちでいられたけど。。

そういうのをやりきった?のかもしらん。

それだけではうまくいかないことばかりになってきた感じ!

 

今日という日は人生の最小単位であり、その集積が人生なわけですが、

メタるのが好きすぎて、目先の現実を生き生きできてない感じが〜🥵

集中が切れると意識がそういうことばかりにいってしまうけど

結局何も残らんという、、

 

それって全然良くないので、もっとちゃんと今を生きましょうと

よく思うようになったわけです、

で、自分が今やってることをできる限り納得してやれるような

選択をして、正しく忙しくしていきたい〜

怠惰なので忙しくするの嫌だけど、暇があると病むから

ここはエイヤで乗り切らないといけないです

怠惰なので他人の力とか、アクシデントにすぐに期待するんですが

そういうのってもうあんまり感受できなくなってるのか、

全然起こらないので自分でやってくしかないっぽいです^^;

 

ちょっと話は変わるんだけど、ある小説に

「テレビは我々を笑いの義務から解放してくれる」っていう一説があって

まあそこまで暗い解釈じゃなくても、

エンタメが我々のつまらない日々を彩ってくれるみたいなのって

全然わからないというか、彩ってはくれるんだけど

それだけではいられない、、思ってしまい、、

もちろん私もYoutube見るしTwitterもめっちゃするし

本も読むし、人の作品から彩りを享受しまくってるとはいえ

なんだか罪悪感に近いような、素直にそれらを楽しみきれないから

何かしら自分の血肉にせねば…とか思っちゃうんよね〜。

はあだ〜😫

 

3、4年くらい前からずっとおんなじようなこと言ってる気がして怖い〜

自分の精神の層がどんどん実感から離れていって怖いよ〜

ダンスするしかない〜

 

 

 

昨日の決意が明日もそうであるとはわからない。

絶対だと確信したものがずっと同じであることの方が少ない。

決めた強さは目減りするものだし、

ずっと続けることも、毎日違うことをしていることも、

偉くないし偉くなくもない。

脳は毎日変わる。

 

ほんとうに何かを決めて、言葉にするのはとても大変なこと、

誰かがそれを聞いたり、見たりして、覚えていてしまうならば、

(責任を取るとかではない、とらなくていい、だけど)

周りに少しでも波が伝わることは、もうその時点ではじめてしまっているということなのだ。

 

つまり、何か新しいことを始めたいのならば、

変わってしまうことを前提に、それでも無責任に

種を撒いて、それが芽吹いたら収穫するのだ。

芽なのか蕾なのか花なのか、わからないことや曖昧なことは、わからないまま、曖昧なままで、土ごとスコップで掬って、

咲くのか、はたまた枯れてしまうのか、水をあげながらそれを眺めればいいのだ

 

 

 

 

 

ビジョンメモ

 

開会式を見て悲しい気持ちになったのとか、

最近もまた仕事と自分の関係について悩み始めているのとか

いろいろ

 

_

 

今の部署での仕事はまあ結構さすがに慣れてきた、

まだまだできないことも多いけど、ゆったりしたペースで周りに助けられながら

自分なりに考えたこととかが受け入れられ、対等に見てもらえつつあると感じる。

 

そんな中でもやっぱりしっくりこないそもそもの、

自分の仕事が本当に誰かのためになっているのかという

(この表現が正確かはわからないけど、大きく言えばそんな感じに近い)

漠然とした空虚な気持ちがずっと拭えない。

 

クライアントが喜ぶ顔をもっと間近で見たいとか、そういう問題でもなく、

じゃあ医療従事者になったらいかがか、とか

そういうわけでもないんだな。

 

 

それをより強く意識するようになったのは、

ここ2年くらいのコロナ禍でのひどい政治やら

直近オリンピックの開会前のごたつきを見てからで、

 

デザイナーは付加的な価値を提供する仕事だから

そういういろんな社会の問題に何も貢献できないような、

むしろ特定の思想や誰かの思惑を助長するように利用されたり、

自分で無意識にそれらを反映させてしまうのではないかと

怯えてしまったのであった

 

 

でも少しだけ、自分がどんなデザイナーになりたいかを考えたときに、

まずデザインが社会とどう関係してきたのか、今どんな風に機能しているのかを

ちゃんと見れるようになりたいなって思って

「イケてるものを増やしていい感じにする」とかふわふわしたビジョンで止めてた部分を

もっとぐっと踏み込んでいきたいなとおもった!

そういう事実をきちんと認識して論理的に判断すること。

 

あの店のロゴが可愛い〜みたいな瞬発的な感想も大事にしつつ

その感想がどこの誰によって、なんの文脈に沿っているのかを意識できるようになりたいな。

 

はっきりとした個人的なビジョンとして、知性が価値を持つ社会にしたいので、

それを実現するために仕事をしたい