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春の訪れは相変わらず、気温ではなく花粉症でしか感じられないのがなんとも
先日展示を終えて、その中で色々と感じる個人的な思い出などもあって
しばらくずっと人と自分との関係に無関心というか、
悪い言い方をすれば都合のいいように関係をコントロールして一人のんびり暮らしてたんですが、
やっぱりこれではあんまり楽しくない気がしてきて、すこし色々書こうと思いました
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人と関わるのは本当にめんどくさいことで、
ある程度の範囲は放置して、でも気にかかるところは気にかけて、
まともに向き合おうとすれば性別問わずよほど覚悟がないと適当なことは言っちゃダメで。
一人一人、自分と相手に最適な程よい距離感があって、それはすこしのきっかけで変わるものだから定義はできないけれど、
自分の身を守るためにも相手の身を守るためにも「諦め」をポジティブに共有できる関係が大事だよね
私は好意的に接している人の数だけ愛を持っているつもりで過ごしていて、
その表現方法も言葉だったり身体の接触だったり眼差しだったり沈黙だったり様々で、
それが必ずしも相手に100%で伝わるわけないし、別種の愛だと勘違いされている可能性もあるし、相手がどう受け止めたのかは結局わからずじまいの連続で、そこをあえて確かめ合うならば言葉を使うしかない、そんな程度のものなのです
男とか女とかあんまり意識したくない(意識しすぎて一周して嫌になってしまってるのは私の方かもしれないが)し、
恋愛感情は特別だからそんな頻繁に起こるもんでもないだろうし(恋愛という言葉と、私がある人へ向ける態度を比べてみて、世間でいう最も恋愛らしいものへ当てはめるだけのものとさえ思ってしまう今は)。
だって全員好きだしな。
そして、いわゆる友達とか恋人とかアリとかナシとかそういうのを線引きする行為が私の理屈だと存在しないゆえ、自分が傷つかないようにするには、そこはやはり社会の暗黙の了解を飲むしか方法はないっぽい。(時々自分なりの理屈をこねてしまってだめになるけど。)
人を傷つけたり、わかりきってるような結果に目をつぶって暴走したりして、
こんなめんどくさい、言い訳みたいな理屈を全部全部を壊してくれるような存在がいると信じてるけど
そんなんじゃ重さがすごくて暴力になっちゃうし
人生ムズ!!!!!!!!