ずっと消費者でいたい
さっきまでとにかく鬱で、ブログでも書いて文字にはめないと狂いそうだったけど、
phaさんの購読しているnoteを読んで少し落ち着いた。、でもかく
最近もうとにかくずっとダメで、
卒論がどうとかいうのじゃなくて、とにかく漠然と日々が過ぎているのに耐えられない。
もしかして、労働って救済なんだろうか。。
大学4年生のほぼ授業がない暇な日々って私にとってはかなり地獄で、
毎日アルバイトしまくるのはしんどいし、かといって趣味も特にないみたいな、
そんな感じでたまに入る予定を消化しつつ基本的には一人でブーブーいってるのがとてもしんどい。
日々の楽しいこと料理ぐらいしかないな、食べるもの考えてる時と買い物してる時、
自分の美容のこととか考えるのも楽しいし、友達と会うのも楽しい。
自分の生活にしか頑張りどころがないというか、、
まあそれはゆくゆく変わっていくことなんだけど、
こういうことを思った時にいつも一緒に思い起こされるのは
友達とも少し前に話した、消費者でいたいよねってこと。
これからの時代はみんなが生産者だの消費してるばかりではダメだのいろいろいうてますけども
私は自分が作ったものより他人の作ったものがすきなんだな。
デザインのこと、いろいろ考えてきたつもりだったけど
作業のうちに楽しい時って全体の1割ぐらいしかなくて、
あとは基本的にずっとプロセスが苦しい。でもこれってほんとよくないよな。
佐々木俊さんが、プロセスに明るさがないものを努力と呼ばないっていってたけど、
私もそう思うし、だからこそ今自分がやってることってなんなんだろうって思っちゃうな。
なんか、デザインとそれにまつわる全てのものを全て捨てて、
カレー屋さんとか雑貨屋さんとかお菓子作ったりしたいなあ
私はデザインがすきだけど、私が楽しく作ったもので周りの人が喜んでくれるとか、それだけで良かったはずなのに、
金銭とかオリジナリティとかそういういろんな評価が重なってうまく作れなくなっちゃった
短歌だって、自分で作ってZINE作った時はすごく楽しかったのに
卒論でやったらもうしんどくなってしまったよ(これは私が悪いけど)
物事を追求するのって本当に難しいことなんだね、
追求したかっていうとわかんないけど、いい部分だけ見ていたかったことが多過ぎたような気がします
2年くらい前にも、デザインすることがすごくしんどい時期があって、
その時は普通の就職しようって考えてたくらいだったけど、
「デザイン以外に何ができるの?」って人から言われてしまって、
そこからまた自分に呪いをかけ続けていて、
それはずっとすぐに逃げようとする私を引きずり戻すための言葉なんだろうけど、
私が逃げようとするのは、私の自然な状態の心がその方向を選んでいるんだよね多分
逃げちゃダメなのかなあ
まあ、何がいいのかわからないから全部やるんだけど、
とりあえずデザイナーやるしかないよね、春からはね、、
でも、個としてデザイナーを意識するからこういうのに苛まれるのであって、
会社のために、って思ってデザイナーとして働いて魂を売れば楽になれるのかな
お金を稼いで、世の中の素晴らしい作り手の方々に貢献するのが幸せなんじゃないかなあ
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さっき考えてたもう一つの全然違う話
私がルッキズムの奴隷になったきっかけがよくわからないけど、
顔面って、肉体って、やっぱり自然発生的なものだから、唯一のオリジナルなものなんだね、当たり前だけど
自分の喋る言葉も考え方も性格も、何かしらの影響を受けたもので、複合概念でしかないから、
その概念の構成要素を一つ一つを取り出してみれば、もう既に存在しているんだよね
オリジナルっていうのは、元来・固有のっていう意味で、
人間は基本的にオリジナルではないんだけど、
肉体だけはどうしようもなく世界に一つしかないんだね!
ということに先ほど気付き、
自分が顔面を頑張ることや食べ物を選ぶことにより一層の愛着が沸いたのであった。