日常と地球の額縁

 

 

人に生まれたからには人なりの、何か大切なことを感じながら生きたい。

自分自身を大切にすること、それがもっとも大事だとは思うけど、

同じぐらい誰かを思うことも私にとっては大事。

この人といたい、過ごしたいという気持ちをちゃんとこの世に存在させてあげたい。

だれかを想うことは常に一緒にいることとはイコールではなくて、

時々思い出して、会いたいと思った時にちゃんと会いに行くことだと思う。

 

たくさんのものが溢れて、どんなに丁寧に暮らしても見過ごしてばかりの世界で、

出会えた数少ない確信の持てることを、

よくわからない誰かのタイミングで霞めるわけにはいかないのよ、!

そして、好きな町で、好きな服を着て、香りのような幸せを暮らしたい。

 

 

 

私が大学に通い始めた頃、

祖父と京都に遊びに来てくれていた祖母が終末医療の病棟にいる。

そう遠くないうちに亡くなってしまうらしい。

私の母親と祖母は性格は正反対で、仲がすごく良かったわけではないけど、

母親が亡くなるのは、私は想像できないくらい怖い、から、母親のことも心配してる。

私の母は人間ドックにこの冬初めて行くらしいけど、何も見つからないといいな。

 

ツイッターでフォローしている人の、母親が亡くなってしまった。

私も世界で一番母が大切だから、ツイートを見ているとすごく胸が苦しくなってしまう。

 

 

そんな、死にまつわることをふんわりと考えて午前を過ごして、

とにかく、死を知るならば生きねばならない、と踏ん張って、?

そして、京都はとにかく寒くて何もできないので、12月は実家にいようと思いついて、

お母さんにLINEした。うれしいって言ってた。卒論を終わらせよう。

 

コピペ、コピペ、化粧をして、服を着る、髪を伸ばす、香水をふる。

電車に乗る、乗り継ぐ、歩く、歩く。

さっきの思いつきを実行するべく(卒論にエンジンをかけるべく)、とりあえず三重野さんの個展へ向かう。

 

物量と、自由に舞うような個々の作品。

私が今大切なのは出自やルールや法則なんかではなく、ちゃんと原点に帰ること。

枠組みをきちんと捉えようとすることも大事だけど、もっとストレートに素直にぶつかる方が私らしいかもしれない。とかそんなことを思った

 

会期中にあと2回は行く予定だけど、もう胸がいっぱいになってしまった。

少し怒られた気にもなった。

 

太秦はなぜか安心するな、何もなくて静かで人が少なくて。

東京行ったらどうなっちゃうんだろう、意外と大丈夫なんだろうな。

直感を信じよう、直感を信じよう。ちゃんと考えよう