昨日と今日を区別する

 

 

阿佐谷姉妹のモーニングルーティンの動画を少しまえにみて、

もう11月ですよ、今年何したっけ?何もしてないわねえ、そんなことはないわよ、みたいな

そういう会話を聴いていると、

たしかに年の瀬が見えてきた頃には毎年こんなことを思っている気がするなあと感じる

 

歳をとれば経験や知識は重なって新鮮味や刺激を感じる機会がへる…と言われていて、

まあたしかに、いやでもそんなことはないとわたしは思っているけど、

日々の生活の起伏が薄くなってきているというかなんというか。これも3年から位前から感じている気はするけど。

精神の層がうすーくうすーくなるような、

現実をどこか俯瞰してみてるのがデフォになってきているような、、

 

(あーそういえば、あんま関係ない話で、

この前読んだ本に書いてあったけど、

退屈とは「事件が起こる期待を挫かれることである」、そしてその事件とは「昨日と今日を区別する出来事」って定義してたよ、昔の哲学者が、誰だっけな〜

でもすごくしっくりきました、昨日と今日を区別する出来事…)

 

 

で、はなしもどって、

俯瞰する状態ってのはあくまで外から与えられたものをたくさん知って、

それが全てなような気になってるだけで、

ほんとはそこがスタートラインなんだよなあ!

悟ってるなはんて言う表現はすげーださい、っていまは思ってて

悟るなんて所詮左手から右手の距離に見える世界を

手持ちの言葉で具に記録しただけのことだよね

人ってほんとはこんなに無限なのに、なにがこんなに有限のようにいってんのやろ?

いまのわたしはスタートラインをなぞってそこからの目を細めてまだびびってんの!

 

はい、年の瀬、、今年はずっと同じテンションを維持できていて偉かった。

下手に動かず、ただし動かなかったわけでもない。。あとよく本を読んだ、なんかめっちゃ読めるようになった。

今年の初めに設定した「愛と内定をゲットする」という目標は概ね達成できたとおもう!

 

本を読めるようになるっていうのは、

自分の中で、こういう風に本を読むとか、こういう基準で選ぶ、みたいなのがちゃんと確立されてきた証だとおもう

ある程度自分で方法や枠組みを作り、そこに具体的な中身を当てはめる、

適宜枠組みを組み換えたりもしてみる…っていう

そういうやり方があってるなあっておもう〜

 

とりあえずつくってみろ、とりあえずやってみろっていうのは一理あるんだけど、

やっぱり自分の中で他人に説明できるくらいの筋というか、方針を初めに立てないと

中身がすり抜けていくなぁって感じるから

それをいかに早く決定するかみたいなところを頑張りたい。