0626

 

 

なんやかんや、完全リモートでの新人研修が終わり、

ヌルッと本配属になって最初の週が終わった。

4月はとにかくあらゆる全てが不安で、あと暇で、

精神の状態がかなり良くなかったけど、

ZOOMでの研修が本格的になってからはそこそこ忙しく課題などをやり、

運良く仲のいい同期もでき、研修が終わる頃には、あっという間だったなあ、という感想。

 

本配属になるタイミングで初出社したけど、きちんと直接顔を合わせたのは

部長と同じ部署の同期だけで、他の人たちとは部屋を分けられていてろくに会話はできていない。

部署が分かれているとみんなとやることも当然違うし、

会う機会もなければ共通の話題も当然ないので、いよいよ同期とは仲を深める機会もないまま時間が過ぎていく。

救いなのは、

仲良しの同期がいることと、部署の先輩たちがとにかくいい雰囲気で、既にLOVEであること。。

 

仕事は、思ってた以上に理詰めっぽいもので、

なんとなく感じていたものの、ビジュアルにがっつり関わる機会はすごく少ないような気がしている。

デザイナーとして入社したのに、やっぱり理屈要員なんだな・・、人事ってすごいな。

 

今の私ができることは何もないが、打ち合わせにはほぼ全部参加していた、

進行中の案件の、議論の全体像と先輩たちの様子、

クライアントの前で自社がどういう立ち位置なのかを掴むことで精一杯の第一週だった。

 

部署の性質上、議論そのものも、アウトプットすら目に見えない上、抽象度が高い。

部署内で一番フラットな状態にある私は、目の前の人たちが目指そうとしているものが

どのくらい大切なもので効果的なものなのかすらいまいち腑に落ちない。

上司に、「これって本当に必要なものなんですか?」と聞けるわけもなく、

ただみんなが時間をかけて議論しまくってるのを眺めてるような・・・。

まあ、それは時間が経たないとわからないような感じだけど。

 

会社は組織で人間の集合体とはいえ、

会社そのものに人間的なポリシーが宿ってる前提に違和感があるんだよな。

実感としてまだないものを、早く「ある」状態にするべきなんだけど、

そもそもそれって正しいのか、みたいなこともチラつく。。

方向性の正しさを直感的に確信し切れてない、みたいな。

 

まあ、こんな前提がない状態で、前提のある人から教育を受けることには限界もあるので、

ある程度自分で埋めていくための勉強も必要だし、

限られた時間でいろんなことを吸収しなきゃって思う。

でも、午後の睡魔とリモート特有の現実感のなさが、どうしても辛い日々。

 

 

 

 

 

ブレイクスルーは望めない

 

 

 

何事も、ダイエットとおんなじで、

毎日の微々たる変化をモチベーションにするのではなく、

自分がやろうとしていることを静かに観察して、

それらを淡々と積み重ねていくことしかできない。

これまではっきりと自分の中の革命を自覚する瞬間が何回かあって、

その度に、生まれ変わったような気持ちで物事を進めてきていたけど、

もうブレイクスルーは望めない。そう思うようになった。

 

観察する、整える。観察する、間違える。

観察する、破綻する。振り返ったら全部正解。

成果を認められるようになるスパンが年を重ねるごとに長くなっていく。

いつまでも中間テストと期末テストの成績を比べるような気持ちで生きるべきじゃない。

次に振り返るのはいつなのかわからない、そもそも比べるべきなのかもわからない。

でも多分そういうものなんだろう。

 

全てを流れに任せて、気分で時々堰き止める。肯定する。

人生のステージはグラデーション、年齢は経過時間。

私は私の感性を毎日取り出して、守っていかなければ。

 

 

 

 

 

 

さらちのきもち

 

 

なんだか今日の夜は、わたしを形成している(と思っているだけかもしれない)すべての社会的な規範がごっそり抜け落ちて、何もかもがどうでもいい更地みたいな気持ちになってしまった。これから起こって欲しい睡眠も、明日の気分も、この部屋も、何もかもがどうでもいいような。

夜の、寝付くまでのこの時間がどうしてもいつも恐ろしく、眠りに逃げて思考のおおもとを消し去りたいと毎日願っているのに、いまだに適切な乗り越え方もわからず今だってこんなかんじで。

 

目に見えないものを信じることが私の救いになりつつある。わたしの目に見えるものは、わたしの目にしか見えていないものだから、ある・あったと信じた瞬間から真実になる。何も信じられない、確かなものなんて何もない世界、質量を伴ってることなんて表象の選択肢の一つでしかないしね

 

 

 

 

距離・変身・興味

 

 

映画や本の鑑賞に、自身の生まれ変わりを期待しすぎなのかもしれない。

だから感想がうまく言えないのかな、

もっと経験や自意識を介在させずに作品を観たい、と思うけど…

いろんな歴史や文脈の蓄積が根本的に足りてなくて、

比較のサンプルが自分の経験しかないのが原因だろうか。

 

”興味”ってなんだろう、

興味を持つとか視野を広く持つってどういうことなんだろう。

って考えてみたんだけど、

『自分の生きる時間軸にそれが関係していると思えること』

だよな、多分。

興味関心がない、興味を持てないって一言で片付けがちだけど、

それはその対象と自分の身体に距離があるからで・・・

例えば、私は美容や食みたいに自分の体を経由したコンテンツ、

つまり感覚と身体の距離が近い(食とか香とか)、あるいは身体そのもの(化粧とか?)には興味があるけど、

歴史や文学、語学みたいに、いまの地点から距離があるもの、

感覚を介在させるあまり必要がなくて、言葉のみ、脳だけで処理するものとかは苦手。

とか。

これは多分、好き嫌いの問題なのかな、

身体と対象の距離感がどのくらいあると心地いいと感じるか。。

あるいは、距離とかではなくて、「身体」と「身体と思っている場所」が人によって違うか、、

 

ある段階で急に何かに興味を持ち始めるっていう現象は

それが自分の生活、『今』に関係があると感じられるからであって、

そこらへんの契機に操作を加えることができたらもっと世界は広がる・・

けど、無理やり習ったり人から話を聞いただけであっさり面白そうって思えたら苦労しないから、

結局はその対象が自分の内面にどの程度すっぽりハマるか、ということなんだけど

これは今のところ、やっぱり外的な刺激が必要だな・・・

外に出て環境を変えることでしか得られない感情の波を利用するしか今はなさそう。

私は。

 

自分でどうこうするのは結構非効率なんじゃないか?って思い始めた今日この頃、

私の感情は私だけのものじゃないから、いくら自分で考えたって

同じところをめぐって、もう巡りきってる気がするのだけど。

拡張するしかないのに、どうしたらいいのかまだまだわからないな。

こういう話、誰かとしてみたいな・・・

ちょっと、お茶しませんか〜?

 

 

 

 

 

 

 

 

どこにもいけないかんじ

緊張している、こわばっている

どこにいても何をしてもおちつかない

変わってほしい事は自分が思っているよりずっと時間がかかるようだ

気持ちが先走って早死にしそうだなあ

身体と精神の距離が離れていくのをみているなあ

これからずっとこんなかんじなのかなあ

なんだかずっと無気力だなあ

2019

 

 

このブログは気まぐれで、主に精神がぼやっとしてきた時に投稿されがちなものだけど、

そんなテンションでだらりと、かれこれ4年目ぐらいになるのか。

 

ところで去年の自分の振り返り記事、可哀想・・・

こんな可哀想な年あったんだな、去年の自分を抱きしめてあげたい・・・

星の巡り的なお話でも2017〜18年はしんどい年とされていて、

19年はようやく平穏に、かついろいろな手応えがありますよと言う感じで、

確かにそんな感じだったなあと思う。

 

2019年の年始は真面目に就活の準備を進めていて、

展示の用意だったりポートフォリオを作ったりで結構忙しく、

人間関係でも一悶着あり(私が悪いんですけど)、鬱々とした日々だった

ありえないくらいニキビができて跡が残って最悪だったしめっちゃデブだった

 

3月頃は東京で居候しながら就活していたけど、いろいろ限界になって京都に帰って、

その後割とすぐに第一志望の会社にあっさり内定をもらって就活は終わった。

 

グラフィックデザイナーになるんだなあ、

とここで2019年の目標である「愛と内定を掴む」を半分クリアした!

よしよし、なんだか思い通りになりすぎて怖いなあ。

初めから失敗しないように無理な目標を立てないからクリアできてるんだろうけどなあ

 

 

で、就活が終わってからはしばらく遊び呆けようと思っていたんやけど

遊ぶってなんだろうなあとか考え、グズグズと過ごしてしまったりもして

私遊んでこなかったから遊び方がよくわかんないのかなーとか考えてた気がする。

そこに関してはいま習得しつつあるって感じだけど、

とりあえずはイベントに行ったり初めて海外に行ったりすることでなんとかした。

 

一年を通して全体的に同じ温度、平和で、あまり下手なことをせず、

悲しくなったり辛かったりも特になく、

相変わらずいろんなことを小難しく考えて一人で楽しく暮らしてた!。

 

今年良かったのは本をたくさん読んだこと。

いっぱい読んでたら自分なりの読み方や選び方がわかってきてうれしい

あと去年より確実に可愛くなった(急に何?)

年始はデブだったけど4〜5キロくらいは痩せた

 

1年間マジで恋愛しなかったけどそれもすごい良かった

勢いがあってバカになる麻薬のような恋愛の「愛」ではなく、

生活に根づき心をじわ〜っと温める「愛」は獲得できたので(世界に対して)、

2019年は目標を達成したということにします!

 

 

来年は仕事がんばりたい!東京を早く自分なりに楽しめるようになりたい〜

2020年の目標は『親に甘えずちゃんと働く』です!貯金するぞ

 

気高く生きる、すてきになる

 

よいお年を〜

 

 

 

飽き性すぎて寛容になってきた

 

 

実家にずっといます。

卒論を缶詰でやるという名目の元、12月初めからずっと帰省しておりまして、

3月からは東京暮らしになるので今のうちにゆっくりしとこ〜という

 

実家は四国の1/4にあるんですけど、

まあ車がなければどこにも行けず、

圏内の中では比較的便利なところに住んで入るものの

毎日同じでかいショッピング施設か家にいるしかない。

この田舎の退屈さへの鬱憤をインターネットで晴らしていた日々が懐かしい

 

卒論も気が乗ればやりつつ、、それはともかくもう2019年も終わりですね。

誰も興味ないであろう振り返り記事を追々公開しますけど、

今年は非常に穏やかで良かった、なにしたか思い出せないけど。

来年はいい年周りらしいし、お仕事やっていきたい

 

ツイッターで回ってきて読んだこの記事が良かった。

 

https://type.jp/st/feature/6089

 

この変な若者像は2年くらい前の私を思い起こさせるので大変恥ずかしい、

いろいろ考えながら生きてるつもりではあるから流石にもうないけど、

とりあえず今はなにもわからない、というか

わかるほど何も持ってないし何もしてない・・

みたいな状態で来年から社会に放り出されるんだなあと思う(いいこと)

 

わかるためには全部やる、選ぶためには全部見る、というスタンスはマジで大事

選べるって実は大変な苦労の末にしか獲得できないもんね、才能ある人もいるけど。

 

 

 

1年に3回くらいくる美容にめちゃくちゃ気合が入る期間がやってきた。

今回は新生活に向けてベストの可愛さでスタート切ることがモチベーション・・・

ツイッターとか、あくまで私のTLで観測する限り、

『既成の美の概念に囚われずに・・』みたいな類の話はもう目新しさも何もなくなっててるよね、

「誰かを見返す」とか「誰かに認められるために」みたいな

他人ありきの美意識ではなくて、個人でそれぞれ一人で楽しくやってく、

みたいなのもみんなもう気づいてきてるというか、、

そこに気づいてから、じゃあその後どうするんだろうなあ

次はどんな美意識が流行るんだろう

 

宗教とか伝統とか、もっとストーリーに根付いた美とか

自然との融合とか、そういう感じになってきて、

人間社会以外の要素が入ってきて欲しい、そういうものを美しいと思う感性が流行って欲しい(?)

なんか難しいけどね、意味わかんないよ〜

 

 

狭く狭く一つのことを追求するのが苦手な人は

マーケット視点を取り入れよ、っていう記事を読んだ

マーケット視点って何だろう・・広く興味を持って触れよってことかな

そう思うと雑誌とか全然読まないし、ツイッターとかも似たような人ばっかだしなあ

いろんな文化をミックスさせたい、いろんな視点を勉強して・・

まあ、でも外のことより自分のことばっか考えてる方が向いてる気もするけど・・

楽しく接続したい世界と私を・・